2015年3月22日、思うところあって中野通り周辺をフラフラします。
じんわりとした目的は2つ、あわよくばという目的も腹に抱えつつ緩い勾配を登るように北上します。
新中野駅。ラジオの交通情報などで青梅街道の渋滞箇所として報じられる杉山公園交差点近くにある出口ではなく、
生活者にとってとても利便性の高い商店街に隣接した鍋屋横丁交差点近くの出口から地上に出てみます。
2007年まで勤務地がこの街にあったため、数年ぶりとはいえ馴染み深いいろいろがまだ残っていたり、大きく変貌を
果たしているいろいろもあったりで僅かな差に土地勘を狂わされます。新中野の隣にある中野坂上地区の再開発が
進んだことから、却って新中野は開発から取り残され、いい意味で住宅地然として趣深かったりします。
フラフラ歩きつつ飲み屋の店先で見つけたモヒカン娘。
中野駅の駅前では「第29回 中野通り桜まつり」開催に向けた準備をしていました。
カルト教団による地下鉄テロ事件から20年が経過したとのことです。
その日は普通に出勤しながら、普段利用していた日比谷線は運転を取りやめたり、千代田線では爆発事故が発生
したとのことから途中駅を通過するなどアナウンスがあったりで情報も錯綜し、朝ラッシュは混迷を極めていました。
それでも若かりし頃の自分は社畜根性を如何なく発揮し、何としてでも会社へ行かねばと策を弄した記憶もあります。
当時、このカルト教団は高円寺周辺に拠点を有していたようで、頻繁に何やら活動をするのを見たりもしていました。
この中野駅駅前のロータリーでも象のかぶり物で歌い、踊る姿を遠目に見たりもしました。
そのころの自分が彼等に対して抱いた率直な感想は「とっ散らかった××連中」これに尽きます。
ガキの頃にレインボーマンに触れた自分とって、ヨガの神秘も、サンスクリット語風の呼称も、犯罪集団に繋がることを
想起させる諸々などは学習済みで、それらは東宝の特撮に比べて遥かに陳腐な物でしかなかったことを思い出します。
カルト教団内部にいた人々はレインボーマンを見てなかったのでしょうか。人は素で飛べないと教えてあげたいです。
レインボーマンを見ていれば悪の組織SSDが辿った結末も判っていたろうにと思ってしまいます。
まさか自らを「愛の戦士」と僭称したりはしていないでしょう。もしそうなら度し難いほどの盗人猛々しさです。
いまだに関係者の裁判は遅々として進まず、明確な解決も得られないような状況に思えます。
また犯罪集団となったカルト教団から分派した別組織に身を寄せる若い人々が今なおいるとも聞きます。
この情報化社会になって積極的調べることもなく何かに盲信してしまう姿には、もうオッサンとなり全てを疑って
斜に見がちな自分にとって、ただただ信じられないことです。きっと「大いたち」も知らない純真さなのでしょう。
今後どのような結果となるのか意識して報道を見続けたいと思います。

そんなことを思い出したり、考えたりしながら駅前に掲げられた提灯に演歌の大御所の名前を見つけます。
この後、あわよくばと欲を丸出しにしつつ中野駅北口の商店街を練り歩きます。
検討課題
・疑り深さを武器にする
・注意深く生きる
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