盛り上がってましたね。
ということで、その盛り上がりに水を差し、少し気になったのが過去の行動や言動が忘れた頃に自分を殺しに来るということ。
皆々さまも立場、役割等々イロイロございましょうから、個別の案件についての私個人の感想は差し控えることにします。
最近の風潮として、過去の行いを現在の価値観によって糾弾、断罪され、それは未来永劫許されないことして扱われること。
なるほど。こういうケース、対処方法を積み重ねていけば国家事業としてヤイヤイと言いがかりをつけ、最終的に金銭要求を
果たすことを目的としている上や下の連中はほくそ笑むことができるのかと邪推したくもなってしまいます。…そういうとこだぞ。
翻って自分。上記の邪推もあってか誰に嫌いか大嫌いかを問われれば、胸を張って口汚く「大っ嫌いですよ」と答えています。
おそらくこんなことさえ何ともなれば暴かれ、文章本来の意図など無視して言葉だけを切り取って石持て追われるのでしょう。
であれば日頃からの行動と言動に注意し、どこかの誰かとも軋轢も衝突も起こさないよう身を低くしてろとなるのでしょうが、
今さら手遅れでございましょうよ。人前に出るようなこともないし、いっそ誰も手出しできない上級国民でも目指してみますか。
だから!
何ともいえない息苦しさを感じるこういった風潮は一過性のものなのか、このまま現代常識として定着していくことになるのか。
できるだけでも我が身の振る舞いを厳しく律するまでいかなくとも、恥ずかしくないよう心がける必要はありそうな気がします。
ささくれ立った気持ちに支配されてしまいますが、今日はお昼のサイレンにあわせて黙祷をしようと思います。
検討課題
・それでも嫌いは嫌いという
・開き直る厚顔無恥力を養う
追記
これを読んだ貴方が誤解し不快に感じたとすれば、それは私の意図するところではなく、貴方が誤解したことを残念に思います。
最近の謝罪でもなく、言い訳と責任転嫁に終始した定型文を書き添えておきます。
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