ここしばらく新聞等で報道される埼玉県立高校の共学化にまつわるあれやこれや。
共学化推進派は公教育におけるジェンダー平等の必要性と併せ、早期の実現を求めています。
この推進派といわれる県の第三者委員会、市民団体がどういったものか調べるつもりもありません。
ただ、そういった意見があることは理解したうえで、本当に今すぐ必要なのか考えてしまっています。
というのも男女別学を廃し共学一本化することで、日頃からお気持ち表明をなさってるクラスターの
求めてる多様性はどうなってしまうのでしょうか?それとこれとは話が違うというのはナシナシですよ。
推進派が「○○大学への進学率の高い□□男子高校に女子では入学できないから進学する高校を
変えざるを得ず、○○大学へ進学できなかった」との事例を挙げていましたが、確かに環境は大切と
いえますが、□□男子高校に入学しさえすれば○○大学に行けるとは確約されていないと思うのです。
レアケースを殊更に喧伝し、お涙頂戴から同情を得ようとする作戦なのかなと疑ってしまいます。
少数派の意見を汲み上げるとともに、大多数の卒業生、在校生、今後進学を希望する子供たちが
納得できるだけの理由、メリットを提示しなければなりません。両論並立じゃないとフェアじゃないし。
埼玉県内の県立高校を共学化すれば問題は全て解決なんて杜撰なことは言わないと思いますが。
仮に埼玉県内の県立高校を男女平等の名の下に全て共学化できたとして、その先の社会において
いまだに男性のみの社会、あるいは女性だけの社会があり、高校生活の3年間で獲得できたと思っていた
男女平等が社会に出れば実現されてないと知るのはあまりにも残酷に過ぎると思ってしまいます。
共学化推進も大切なことかもしれませんが、実社会での男女不平等を解消することが先決なんじゃあ
ないかと思います。実社会の多くは私企業だし、それとこれとは話が違うというのもナシナシですよ。
純潔を守ってきた男子が巫女になれない。体格に恵まれた女子が大相撲の土俵に上がれない。
そういった理不尽を無くすことこそがジェンダーギャップの解消、男女平等に繋がると思うのです。
保守的、あるいは開明的ではない私からすると共学化推進派の御意見は穴だらけに感じてしまいます。
埼玉県東部にある春日部市で育った私は、自転車で通える市内の公立校に進学するかと企みます。
春日部高校 男子校 むさい頭脳派野郎がミッチリ
春日部女子高校 女子校 できる女が集まってる
春日部東高校 共学高 どうにも中途半端でもっさい
春日部工業高校 共学高 ただし男子生徒比率お高め
春日部共栄高校 共学高 私立高校
そんな各高校の校風というか、イメージをそれぞれ持ち、伝統のようなものがあったと思います。
共学化を果たした先に、それまでの校風は残るのか。そんなモノは不要ということなのでしょうか。
昭和50年代(1980年代)において春日部市内の高校には少なくとも多様な選択肢がありました。
私といえば詰め襟の学ランが制服の高校に行きたいと考え、工業高校への進学を望むも進路指導
教諭から反対され、さりとて学力は足りなかったため中途半端な共学高へ進学を果たしています。
結果はご覧の通りではございますが、これも私の人生。誰にお気持ちをぶつけるものでもありません。
開校から100年を超える歴史を有する伝統校を、ここ数年の現代的考えをもってブチ壊そうとする
意図が男女平等程度というのは些か以上に薄っぺらく感じてしまうのは私だけではないと思います。
もっともっと時間をかけ議論を尽くすべきじゃあないかと何もかもが中途半端な私は思うのです。
文中「男女」と表記を用いていますが、ここに男性優位、女性蔑視の意図がないことを記します。
検討課題
・朝ほのぼのと明けわたる武蔵野ひがし野ははるか
・古き文化をはぐくみて新しき世を創るため
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